国葬反対運動に思うこと

こんにちは。
一時よりは元気になったのと、思うところがあったので、今日は書きますね。


現在、普段からお世話になっている市民団体の方、著名なジャーナリストの方の多くが、安倍元総理の国葬反対に賛同しているようです。8/31には大きな反対集会もあったようですね。

 

 

喪主を2回やった人間として言います。

人の死をけなして楽しいか?

 

 

彼なりに、志はあったと思います。
私は、このような政権批判の在り方には、賛同をすることができないです。

そして、ご本人たちの知らないところで、いがみ合い、罵り合いをすることは、
残された身内・親族が望んでいることではないと思います。


本当に「これまで」を批判したいのなら、残っている者が「これから」を作るべき。
異なる価値観で、「これから」を、きちんと作り上げることこそが、反対の意見を届けたいのであればやるべきこと。


市民運動が思うように共感を得られていないのは、そういうところなんだと思います。
人として、弔事は静かな気持ちで偲びたいと思いつつ、現存する社会課題にはきちんと改善策を見出したい、と思い、行動を試みている人間として、昨今の情勢は…。


はっきり言って、足を引っ張られている想いです。

なぜ止める動きに気を取られる?

 


止めて、満足?

 

 

自戒を込めて言いますが、今回の国葬の件ではありませんが、ここには昨年の大きな大きな反省があります。

その話は「これから」に譲りますが、中心の思考が、「止める」に留まっていては、だめだ。「作る」の思考を作ろう。


ズシッと重い話題でしたが、私としてもこれ以上、意見を曖昧にしておくわけにはいかなかったので、率直に思うことを書いてみました。

 

引き続きよろしくお願い致します。