抗議活動のカジュアル化・多様化は共感を遠ざける?

こんにちは。
本日はこのテーマについて。

 

【構成】
・抗議活動参加歴・抗議についての基本的な考え方
・題材としての記事
・抗議活動のカジュアル化・多様化について思っていること
・一部の過激な抗議活動をどう思うか

 


1 抗議活動参加歴・抗議についての基本的な考え方
<抗議活動参加歴>
・合計すると全部で4回ですね。
・時々で物議を読んでいる法案制定に対しての、抗議活動参加です。
<声を上げるということ>
・抗議活動に参加している以上、権利としての抗議活動を否定はしない立場です。
・「声を上げれば何かが変わる可能性」はあると思います。
・ただ現状、上記目標を達成している抗議運動は少ないと思います。

 

2 下記資料を確認後思ったこと
<題材>
https://youtu.be/lAHR4r-9ZsE
・こちらは、物議を呼んでいるひろゆき氏の、沖縄基地問題関連のツィートを題材とした番組です。
・全部見た後思ったのは、「この先に何が達成できるのか」「言ったら言いっ放しの試みになりそうだ」という点です。
・抗議活動は、目的達成のために行われる活動なので、目的達成に近づく動きに繋げる情報発信であればと思います。
・「ハンガーストライキ」についての話が途中ありました。
 これは確かにと思う視点です。関心柄、情報に接しているのですが、本当にハンガーストライキという手段で訴えている人は命の危機と隣り合わせ、「他に訴える手段を持っていない」状況で行われていることを知っています。なので、短時間・短期間のハンガーストライキを実行し、「行動したつもりになる」ことには気を付ける必要があります。ハンガーストライキ以外の手段を実行できる立場の人は、可能な手段を駆使して自分たちの訴えは届けるべきだと思います。

 

3 抗議活動のカジュアル化・多様化について
・「怖い人たちの運動」と思われたくないからか、昨今「親しみやすい」デモ活動が潮流になっています。
・なので、元は単一テーマの社会課題であっても、規模拡大に伴い様々な運動を取り込んでいる傾向がみられます。
・私はこの潮流には、下記の点で反対です。
 1 争点がぼやける
  分かりにくくなります。
 2 成果を出す前から突破力が鈍る
  抗議活動の主たる目的は「現状を変えること」です。
  多角化は、一つの、元のテーマで何か今の状態に変化を起こす「成果」を

  得てから実施すべき、という考え方です。

  多角化すると力点が分散すると思います。

 

4 抗議活動の過激化に対する抗議者からの視点
・抗議活動参加歴があるので、「穏健な抗議者」の立場です。
・過激な行動を取る一部の運動家と「同じにはされたくない」ですね。
・では迷惑だと言ってはどうか?先日国葬反対運動について批判する記事を書きましたが、直接運動している人に意見を言おうとしても、話が平行線だったり、説得を通じて取り込まれることに対してのおそれがあるので、思うところがあってもなかなか本人達には意見を話せないですね。平行線に留まることが分かっているので、労力を割かずに自分の意見のまま次の段階に向かう、というのが正直なところです。

 

 

以上、私なりに意見を書いてみました。
ではでは。