国葬反対運動についての備忘録

こんにちは。
市民運動には比較的共感する方だと、私なりに思っていましたが、今年の7月以降の「国葬反対運動」は、最終版の9月下旬、国葬儀当日の9月27日を迎えても「共感」をすることができなかったです。

今の時点での
 死生観
 その上での市民運動
について明確にしたく、記録に残しておきます。

 

1 本来なくなった方をあれこれ言うのは性分ではない
私にも家族を見送った経験があります。
生前、仲がいいとは言えず度々衝突もしましたが、なくなってしまえば尊厳を持って
お見送りしたい…これは自然な感情だと思います。

事が起き、彼が非業の最期をとげた7月8日。
確かに私は「暴力で口をふさぐことがあってはならない」と発信しています。
その時から、死生観に一貫性を持ちたいと思えば、一方的に彼の生前の功罪を
責め立てるのは、いかがなものでしょうか?

彼はもう反論することも正当な説明をすることもできなくなっていた。
その時点で、狙いを彼に定めるのはおかしな話で、厳しく訴えるとすれば残された者であって然るべき。あれこれ言うなら残された者に対して。

そしてやはり、遺族経験者としては、安倍昭恵さんや残された安倍家の皆さんのことを思うと、一度身内でお見送りをしたとは言え、異なる形であってもきちんとお見送りをする場は安全かつ静かな形で保たれるべき。
これを邪魔する運動は人としてどうなのか?という意見が消えませんでした。
いや、これからも、正当な市民運動を肯定したいと思えば、消してはならない意見だと思います。

 

2 生きて動いている社会課題に目を向けてきたのか
生きて動いているのは、一連の霊感商法被害への対応でしょう。
一連の経緯の中で、日の目を見なかった宗教2世・3世の問題に光が当たったことは良かったです。

ですが、与野党を問わず、過去に関係が明らかになったとして、議員を連日つつくのはいかがか。これから関係を絶てばいいと思います。いくらつついても過去は変えられません。
居直るのならともかく、「これからは対応する・気を付ける」と言っている私たち国民の代表者に対する批判のやり方は、賛成をすることができないです。全員を追い込んだとして、後を受ける人はすぐに集まるのですか?


そして、この間、報道は一連の問題一色。
その他多数の政策課題についての報道は、脇に追いやられたと言わざるを得ません。

同じような時間帯に同じような報道をするな。
電波の無駄遣いだ。

生きて動いている政策課題は、これから変えられる政策課題だ。
そのことに慎重であるならば、「一連の報道があるから他の課題の報道を減らす」というやり方は、安易にはしないと思います。

 

3 何を守りたいのかが不明
結局この市民運動は、何を守りたいのかが不明でした。
はっきり言って他の市民運動にも悪い影響を与えたと思います。

支持されなくなるのです。
一緒くたにされるのです。

私は他の分野で市民運動に携わっている政策課題あるけれど、混ぜられたくありません。一緒くたにされたくないので、国葬反対運動からは距離を置いてきました。

無害だったら距離を置くだけだけど、最終盤にかけての運動のやり方は、生きて動いている多様な政策課題に取り組んでいる人の目線で言っても、されたくない市民運動のやり方、報道のされ方です。この時点で、現在進行形の社会課題に向き合った運動とは思えませんでした。

当該政権の功罪は、たくさんあります。
私も彼の政治手法には賛成していませんでした。

しかし、今更叩いて、そして彼が政策を改められるのですか?
そうであれば、私も賛成します。それはもはや、できる話ではない。
功罪を正し、いい政策を守る、という視点を、得ることができなかったのです。

 

市民運動への共感を守っているようには見えませんでした。政策是正の視点を守りたかったのであれば、少なくとも今は政策を改めることができない人をこれほど誹謗することはないでしょう。

 

 

4 その他

一連の国葬反対運動。
賛否はあるけれど力を使った人に対する態度ではない、と言いたいのです。

過去に生きているのは、考えの古い政治家の方ではありません。
過去を叩いて満足し、現在とこの先に着目しようとしていない方です。

私は国葬はきちんと行い、そしてきっちり今月から切り替える。
そういう考え方を持った市民運動を応援したいです。

元々7月から、国葬反対運動に賛成はしていなかったのですが、他の市民運動に対する
今後ネガティブな影響が多過ぎ、黙っていられなかったので記録として残しました。

 

そのエネルギーは、「生きて生活している人間の生活を脅かす政策」に反対する運動に対して使え。
たくさんあるぞ。これが一番言いたかった。

参院選の後、本来はじっくり進めるべき先送りできない課題
 少子化
 気候変動
 移民・難民
 憲法
について、これらは小手先の選挙受けで何とかなる政策課題ではないぞ。

騒いでいた約2カ月、一連の運動はどれだけこれらの問題を語った?
足りないんです。他にやることがあっただろう。

にもかかわらず低調な議論に危機感を持たない。
国葬反対か、賛成か、二者択一を迫る。

これでは市民運動は、これからも共感を得づらいままのように思います。
そんなに市民運動は単純ではない。

 

色々と吐き出しましたが、本心であることも事実です。
区切りがあってしかるべきなので、「市民運動本来の在り方」にて、10月以降は声を届けて頂きたい。

長くなりました。ではでは。