6000部のニュースレターから「ひとり」を想像する

こんにちは。
もうしばらく、文章中心の記事続けますね。


前回はニュースレターの記事を執筆していたのですが、投稿後、思い出したエピソードがあったので。


1 カンボジアのトゥールスレイン博物館訪問の経験

私は四国にある、ある国際協力団体のお手伝いを学生の時していました。
卒業すると現地に行きにくいということで、卒業前にカンボジアに10日間くらい渡航し、孤児院でのホームスティや、農村部での学校訪問などを行っていました。

歴史を知ることも重要ということで、ある日首都プノンペンにある、トゥールスレイン博物館を訪問した日のことです。

カンボジアは1975年(ベトナム戦争終結の年ですね)~1979年頃、ポル・ポト時代という、とても暗い時代を経験しています。この時代は、その極端に偏った政治的立場から、ポル・ポトという政治家を中心として、考え方の違う国民等に向けての大規模な迫害がありました。そして、諸説ありますが、とにかくたくさんの人々の命や生活が破壊されました。

 

2 「ひとり」をどう見るか?どんな見方をその時していたのか?

博物館では、この時命や生活を奪われた人々の、生身の顔写真が並んでいました。

その時思ったことであり、その日の夜に自ら発した言葉でもあるのですが、「大量のニュースレターを目にすると、支援者一人一人が見えにくくなるのでは?」という疑問が、お手伝いを続けていた私の中で生じていました。


この団体では1年に4回、当時5,000~6,000部くらいのニュースレターを、全国の支援者さんに向けて発送していました。なので1年に4回くらい、土日に我々ボランティアを募り、集中して発送作業を行う週末がありました。
ここでは封入が追い付かない量なので、前後の時期には団体の職員さんが、プロジェクト管理とかの合間を縫って進めていたそうでした。

私も当時よく参加していたのですが、本当に「作業」で、日曜日の夕方くらいになるといくら進んだのか、あとどのくらい残っているのかが、「数」として気になりがちでした。間に合わなかった場合は、「すみません職員さん月曜日から残り進めてください~」といった感じです。 

私が言いたいのは、このときいつも「1通、1人の支援者向け」を意識できていたかどうか?という点です。
たぶんできていなかったから、この時博物館の顔写真を目にして違和感を持ったんだと思います。


カンボジアでのポル・ポト時代に限らず、大規模な紛争や迫害が起きる度に、「何千人、何万人、何十万人…」といった、「数」で語られることの多い、そこで暮らしてきた人々。

規模感に関心を持っている間は、見る目が曇っているのでは?
何十万人何百万人といった犠牲者に思いをはせていたのかもしれず、それが基でお手伝いを始めたのかもしれないが、犠牲者がもっと少ないカンボジアの歴史的背景だったのであれば、この団体のお手伝いはしなかったのか?


複数の?が、出てきた1日でした。

 

3 受益者・応援者を、「量」ではなく、「ひとり」として捉える

人のことを「量」で捉えることは、いいことではないです。
どのような人も、その人自身は1つの人格を持っているのですが、この事は寄付者や受益者を見る上でも、必要な考え方だと思い続けることが、「どれだけ組織が大規模化しても」必要なことの1つです。
ファンドレイジングの話なので、ここでは「寄付者」の方に焦点を当てますが…。
多少の利己的動機があったとしても、善意あるお金をお預かりしているのであれば、「数ある寄付者の1人」に留めるのは、ファンドレイザーの思考として、望ましい在り方と言えるのでしょうか?

うーん。そうとは思えないかな。
これは今の私が、大きな団体よりも、これから大きくなる団体(→現時点ではいわゆる「大規模団体」ではない団体)に共感しがちな故かな?

色々な組織に言えると思いますが、大きくなるほどこれ難しくなる点です。

 

4 ではNPONGOが「ひとり」に着目した繋がりを作り続けるには?


寄付を始めると1年に何回か送られる、寄付した団体からのお知らせ(郵送、メールを問わず)。
一定以上の規模になると、多分テンプレート使っているんだろうな…というのが想像つき、毎回同じだとそのうちに応援者心理としては、飽きて読みもしなくなる…というのがあるのではないでしょうか?

1行の持つ力に着目します。本日記事のテーマは「ひとり・ひとつ」です。
真意ですが、テンプレート十何行かの文面の中に、1行でも「自分のみに向けての」キーワードがあると、寄付して報告受け取る側って、それなりに嬉しいので、テンプレ駆使して報告業務効率化したい団体の方目線としては、「9割まではテンプレートのコピー文面で可、あと1割(1行)前後は「その応援者個人に向けての」メッセージ性を交えた文を含める」というのも一つの方策です。


手間はかかりますが、完全なテンプレ御礼報告よりも、団体と応援者との心理的距離感は縮まるような気がしています。

 

川田エピソード思い出しての、ファンドレイジングの内容っぽい記事、今後もたまに書くかもしれないです。
ではでは~。